
鷹木信悟という、プロレスラーについて教えてくれ。

唐突ですね…、まぁ良いですけど。
鷹木信悟というプロレスラー

まずは、鷹木信悟選手のプロフィールです。
プロフィール

名前:鷹木信悟(たかぎしんご)
サイズ:178cm/96kg
誕生日:1982年11月21日(35歳)
出身地:山梨県
スポーツ歴:レスリング、柔道、野球
トレーナー:アニマル浜口
デビュー:2004年10月3日

ドラゴンゲートでデビューして約14年。10月7日の契約満了をもってフリー転向となります。
得意技

ドラゴンゲートでは、トップレベルのパワーファイターでした。なので得意技もパワーを生かしたものが多いです。

ラストファルコンリー/相手の腕を股下でロックして担ぎ、前方を回転させて叩きつける

パワーボム/試合中盤で使用する

パンピングボンバー/強烈なラリアート

パンピングボンバー/相手が一回転することも

ブラッドフォール/アルゼンチン・バックブリーカーで担ぎ上げ、相手を落下させる

どの技も、一撃で相手を仕留めるくらいの威力があります。
ドラゴンゲートでの活躍

次に、ドラゴンゲートでの活躍を振り返ります。
アニマル浜口道場で内藤哲也と

プロフィールで気になるのは、アニマル浜口道場に在籍していたってところだな。

ドラゴンゲートに入る前、3年間通っていたようです。その後に闘龍門へ入団しました。

アニマル浜口道場では、新日本プロレスの内藤哲也選手と同じ時期に通っていたようです。

内藤哲也選手とは年齢が同じだな。飯伏幸太選手、石森太二選手、KAZMA SAKAMOTO選手らと昭和57年会を結成してるらしいね。

そうですね、今でもちょこちょこ会ってるみたいです。

驚異の新人としてデビュー

デビューは闘龍門時代のドラゴンゲートです。ここでの同期はB×Bハルク選手、WWEに移籍した戸澤陽選手です。

B×Bハルク

戸澤陽

アニマル道場出身だけあって、新人のときから体ができていました。同期や同世代を含めて、オーラが飛び抜けていたのを覚えています。

デビュー1年で、ドラゴンゲートの最高峰「ドリームゲート」に挑戦したよな。ホント驚異の新人だったよ。

アメリカに武者修行に行ったとき、試合を見た選手から「デビュー1年!?嘘だろ、10年の間違えだろ」って言われたらしいです。

デビューして2年半の2007年4月、いきなり後楽園ホール大会に表れ、B×Bハルク選手、サイバー・コング選手、YAMATO選手と「NEW HAZARD(ニューハザード)」というユニットを結成しました。

吉田隆司(サイバー・コング)

YAMATO

中心は、鷹木信悟選手とB×Bハルク選手でしたね。YAMATO選手はまだ若手の一人でした。

その時のことは覚えているぞ。マグナムTOKYO選手やCIMA選手、望月成晃選手らが中心だったドラゴンゲートに、いきなり新世代ユニットができて驚いた。

望月成晃
多くのユニットに在籍

結局、NEW HAZARDはB×Bハルク選手と仲間割れしちゃいました。

その後は、進化系の「REAL HAZARD(リアルハザード)」をサイバー・コング選手と結成しヒールターンします。ここから、B×Bハルク選手とのライバル関係が始まります。

ドラゴンゲートとして、最後の後楽園ホール大会ではタッグを、ラストマッチはシングルで戦うんだよな。

ドラゴンゲートに在籍中は、ユニットが変わるたびにベビーとヒールを行き来していた感じがします。

鷹木信悟選手が所属したユニットは、Typhoon(タイフーン)、KAMIKAZE(カミカゼ)、暁~AKATSUKI~、MONSTER EXPRESSIONS(モンスターエキスプレス)とかかな。

そうですね。もっとも印象強いのはKAMIKAZEですね。結成したのは2009年1月、鷹木信悟選手が初めてリーダーとなったユニットです。

和のテイストのガウン

このくらいからじゃなかったけ、和のテイストを取り入れるようになったのは。

日の丸を腰に巻いて入場てたころだと思います。今の戦国武将のようなガウンは暁~AKATSUKI~のころです。
オープン・ザ・ドリームゲート王座

ベルトを手にする鷹木信悟

ドラゴンゲートの最高峰のベルト、オープン・ザ・ドリームゲート王座も、早くから獲ってたよな。

これまで4回獲っています。最初は2008年7月27日の神戸ワールド記念ホール大会です。CIMA選手の返上で空位となった王座を、B×Bハルク選手とメインで闘い初戴冠です。

今も残る最年少での戴冠だよな。この試合は新時代の幕開けだったと思うよ。なんか、ドラゴンゲートが新しくなったって気がした。

確かに。鷹木信悟選手が獲ってからは、しばらく新世代でベルトと争うようになりました。

その後、鷹木信悟選手は第15代、22代、24代と4回ベルトを獲りました。これは最多戴冠回数のタイ記録です。
極悪ヒール時代

VerserK(ベルセルク)

2016年には、ドラゴンゲート史上に残る極悪ユニット「VerserK(ベルセルク)」を結成します。鷹木信悟選手、YAMATO選手、土井成樹選手が中心のユニットです。

この辺りからは俺も覚えているぞ。かなり好き勝手やってたよな。

ヒールっぷりが、これまでのユニットよりも吹っ切れていました。本気でファンの反感かってたと思います。

極悪非道を貫く

パンチ富永選手への嫌がらせなんて常軌を逸していたぞ。ホントに背筋が寒くなったよ。

ただし、悪のユニットも長くは続かず、徐々に鷹木信悟派とYAMATO派の2つに別れます。

対立する、鷹木信悟とYAMATO

収集つかず、金網リングで6Wayマッチをやるんだよな。しかも負けた選手が髪の毛を切るってね。

ネタバレさせますけど、3vs3だったはずが、鷹木信悟選手の策略でYAMATO選手が孤立。5vs1状態にして追放します。

もちろん、YAMATO選手は無残な丸坊主姿に……。

このへんは、次のブログに書いているのでどうぞ。
他団体へ参戦

2018年には、いきなり全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに参戦しました。

おー、したした。同じブロックには石川修司選手、ジョー・ドーリング選手、ボディガー選手、火野裕士選手など、パワーファイターが揃ってて凄かった。

ドラゴンゲートではパワーファイターとして戦う鷹木信悟選手ですが、さすがに全日本プロレスでは同じようにはいきませんでした。それでも4勝3敗で勝ち越しです。

それでも、三冠ヘビー級王座としてリーグ戦に出た、宮原健斗選手に勝ってるから凄いです。

参考になるか分からんが、そのときのチャンピオン・カーニバルのブログはこれだな。


同じく初出場の、丸藤正道選手と相思相愛ですね。
ドラゴンゲート退団へ

鷹木信悟選手のインタビューを読むと、チャンピオカーニバルが終わったあたりからフリー転向を意識し始めたようです。

ちょうど、ドラゴンゲートは社長が変わり新体制になったのもこの頃だな。

ドラゴンゲート最大のイベント、神戸ワールド記念ホール大会の後に、正式に退団が決定しました。


鷹木信悟選手らより下の世代も成長してきました。鷹木信悟選手の「VerserK」も、「ANTIAS(アンチアス)」、「R・E・D(アール・イー・ディー)」と名前を変え、新しいユニットになりました。

KAZMA SAKAMOTO

2018年9月24日の大田区大会では、昭和57年会のKAZUMA SAKAMOTO選手が加入です。まるで鷹木信悟選手と入れ替わるようでした。

10月2日の後楽園ホール大会では、ずっと対立してきたB×Bハルク選手と、まさかのタッグ結成だな。

B×Bハルクとタッグ結成

試合は、残念ながら負けてしまいましたが、介入ありの話ですからね。

しかし、鷹木信悟選手への声援がすごいな。大田区でも後楽園でも大人気だわ。

握手会も、めちゃくちゃ並んでました。
どこで、誰と闘う?

あとは、10月7日のドラゴンゲートラストマッチ博多スターレーン大会で、B×Bハルク選手とのシングルマッチだな。この日に、ドラゲーとの契約が満了と。

10月8日からはフリー転向です。インタビューにあるように「国内はもとより、世界中のレスラーたちと自由に闘っていける環境」です。

どこのリングで、誰と闘うかは、トランキーロかな。