プロレスリング・ノアに何かが起こるタイミングで刊行される宝島社のプロレスシリーズ。「プロレス リングの迷宮」が発売されました。
今号はプロレス界を生温かく騒がせている、ノア森嶋猛選手の引退騒動が巻頭で特集されています。
盟主・新日本プロレスのニュー・ジャパンカップが終わり、ベスト・オブ・スーパー・ジュニアまで小休止といった絶好のタイミングで巻き起こったこの騒動。
宝島社はどのように報じているのでしょうか。
読み解いていきます。
引退を発表したプロレスリング・ノアの森嶋選手にまつわる3つの誤算
プロレスリング・ノアの森嶋選手が引退を発表しました。
既に各種メディアで報道の通り、すんなりと決まった引退ではないことは明白。
関係者を巻き込み、騒動を起こした森嶋選手には3つの誤算があったように思います。
その誤算とは、下記の通りです。
- 会社(ノア)が積極的に引き止めなかったこと
- 逃亡中、声を掛けてくれるファンがあまりにも少なかったこと
- 5.10横浜文化体育館の主役になれなかったこと
一つずつ説明します。
会社(ノア)が積極的に引き止めなかったこと
プロレスリング・ノアが、森嶋猛選手の欠場を発表したのは4月16日のこと。記事によると、このとき既に森嶋選手は引退を希望していたようですが、ノアとしても突然の主力選手の引退に難色を示すのは当然です。
一旦は、ケガによる欠場と発表し、時間を置いて落としどころを模索するよう考えました。
しかし、勝手にウソの発表をされたと曲解し、憮然としたのが森嶋選手です。
業を煮やし、ノアに許可を得ることなく、関係者各位に自身の引退を報告しました。
それを聞いた「週刊プロレス」が、ノアに無断で4月22日発売号の表紙に「森嶋引退」の情報を掲載する決断をしたのです。
これを聞いて慌てたのが、プロレスリング・ノアです。
撤回は不可能と考え、急遽4月21日に、正式リリースとして森嶋猛選手の引退を事実として発表することとなりました。
この瞬間、折り合いのついていなかった森嶋選手の引退が事実となったのです。
森嶋選手には、引退を報告することによって「もしかすると誰かが引き止めてくれるかもしれない」という考えがあったのかもしれません。
しかし、結果的に、その行動がかえって引退を正式に決定付ける要因となってしまったのです。
逃避行中、声を掛けてくれるファンがあまりにも少なかったこと
引退発表後、疑心暗鬼に陥った森嶋選手は関西・九州・沖縄へと逃避行を行ないます。
友人・知人を頼りに各地を彷徨っていたようですが、ここでの誤算は世間がそれほど森嶋選手のことを気に掛けていなかったことです。
プロレスの世界は大混乱かもしれないが街を歩いても声をかけられたのは1人でした!
プロレスの世界にいる人達は気づかないが一般の社会では俺はあまり知られていない事を確認しました。
森嶋選手は、フェイスブック上にこのような言葉を残していますが、考えてみれば当然のこと。
いくらプロレス人気が復興しているといえ、一般世間的には新日本プロレスの棚橋選手や中邑選手の名前と顔がようやく知れ渡ってきた程度です。
リングコスチュームでもない森嶋選手が街を歩いたところで気づく人などいませんし、いたとしても声なんて掛けることはできません。
かつて、横浜ベイスターズに在籍した古木克明さんは、自らの起用法に不満を持って球団にトレードを打診したことがありましたが、熱心なファンの声によって残留を決意したのは有名な話。
もしかすると、森嶋選手も同様のパターンを考えていたのかもしれませんが、放浪先にそのような熱心なファンは存在しなかったようです。
5.10横浜文化体育館の主役になれなかったこと
「プロレス リングの迷宮」の記事で最も驚いたのが、森嶋選手が5月10日に開催された横浜大会で主役になろうと算段していたことです。
これが実現していたとしたらファンとしてはドン引きです。
ありえないながらも、WWEで輝く元KENTA選手が同じことをしていたならば、大歓迎ムード一色に染まるでしょうが、どう考えても森嶋選手では役不足。
ノアとしても、森嶋選手に無謀な舞台を用意することはできませんでした。
あくまで、横浜大会の主役は鈴木みのる選手と丸藤正道選手です。
当初の予定通り、森嶋選手は休憩明けにリングに上がり、引退報告と引退セレモニーの開催を発表するのみに留まったのです。
遥か先の引退試合まで話題を維持できるのだろうか
その後も、森嶋選手はフェイスブック上で、ノア関係者の非難とも取れる書き込み、さらに引退セレモニーの中止を一方的に宣言するなど行ないましたが、現状のところ、丸藤選手が間に入る形で、9月19日の大阪大会で引退試合を行うことが決定しています。
丸藤選手曰く、「もしかしたら2回、3回と状況が変わるかもしれない」というように、引退試合さえも不確定要素が多いことが伺えます。
しかし、引退試合までの約四ヶ月。引退ツアーを行うならまだしも、それまで一切表舞台には出てこない様子。
流れの速い現代のプロレス界において、9月まで森嶋選手の引退を心に留めることができるファンはどの程度存在するのでしょうか。
かつて、ノアが東京ドームで興行を行ったのが2005年のこと。あれから10年の間に立て続けに襲ったプロレスリング・ノアの悲劇。
プロレス リングの迷宮の表紙には、下記のようなコピーが打たれています。
「ノアの悲劇」最終章
この一件が、プロレスリング・ノアにとって、最後の悲劇となることを祈るばかりです。
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