百年に一人の逸材と言われる新日本プロレスの棚橋弘至選手。
赤字に悩んでいた新日本プロレスの興行収入を、V字回復させた立て役者として、プロレス界では神のように慕われています。
棚橋弘至プロフィール
まずは、棚橋弘至選手のプロフィールから見てみましょう。
- 本名:棚橋弘至(たなはしひろし)
- ニックネーム:100年に1人の逸材、プロレス界のエース
- 身長:181cm
- 体重:103kg
- 誕生日:1976年11月13日(41歳)
- 出身地:岐阜県大垣市
- デビュー:1999年10月10日
- 最終学歴:立命館大学法学部
- 血液型:O型
棚橋弘至選手がプロレスラーになろうと思ったのは、高校1年のときでした。
地元でプロレスを見て「プロレスラーになれば、心も体も強い人になれる」と憧れを持ったのがきかっけです。
その後、一般入試で入学した立命館大学でプロレス同好会に入り、何度か不合格になりながらも、大学卒業後の1999年4月、新日本プロレスに入門しました。
チャラすぎる見た目
棚橋弘至選手を見て、最初に思うのは「チャラすぎる…」ではないでしょうか。
一般的にプロレスラーというと、怖くて近寄りがたいイメージですが、棚橋弘至選手はプロレスを身近なものにしたいからと、あえて、真逆の「チャラい」イメージを出しているのです。
初めて棚橋弘至選手を見た人でも、プロレスラーっぽくないロン毛の人と、覚えやすいですよね。
棚橋弘至メディア情報
棚橋弘至選手は、テレビやラジオへの出演も積極的で、1年間に150試合近く戦いながら、試合会場近くの放送局に立ち寄りプロレスをアピールします。
テレビなどのメディアで見たことがある人も多いですよね。
立命館大学法学部出身の学歴を活かして、クイズ番組にも出演しています。
著書
著書もたくさんありますので、読んでみてください。
もちろん、プロレスラーらしく、筋肉に関する著書も多く出しています。
これを読めば、あなたの棚橋弘至選手のような、逸材ボディになれるかも??
エアギター?愛していま~す!!?
棚橋弘至選手といえば、試合後にエアギターを演奏し、拳を突き上げながら「愛してま~す!!」と叫ぶ、派手なパフォーマンスが有名です。
エアギターは、入場曲に合わせてポーズを真似るくらいだったものが、徐々に奏でる時間が長くなり、今では試合後に時間をとって演奏(?)します。
ファンからアンコールが飛ぶのもお約束。
最後は「愛していま~す!!」と叫びます。
最初は今のような絶叫型ではなく、語りかけるようなものでしたが、いつしか、ファンと共に叫ぶようになりました。
棚橋弘至選手が試合に勝った後は、拳を突き上げるように叫ぶのが定番です。恥ずかしがらずに大きな声で一緒に叫びましょう。
IWGPヘビー級王座
ここまで読むと、棚橋弘至のことを、おふざけがすぎるプロレスラーと思うかもしれませんが、とんでもありません。
棚橋弘至選手は、所属する新日本プロレスで最高峰のベルト「IWGPヘビー級王座」を、7回も獲得しています。これは、30年以上の歴史の中でも最多戴冠記録です。
また、最多連続防衛11回、最多通算防衛28回という記録も持っています。
他にも、IWGPタッグ王座、NEVER無差別級6人タッグ王座といった、タッグベルトを獲得していますし、新日本プロレス以外の団体「ノア」でGHCタッグ王座も獲得しています。
さらには、東京スポーツ紙が毎年選出する「プロレス大賞 最優秀選手賞」に3回も選ばれています。
チャラい見た目、エアギター、愛してま~す!!の絶叫という派手なパフォーマンスは、本業であるプロレスで結果を残しているからこそ、ファンに受け入れられているのですね。
棚橋弘至、印象的な名言セリフ集
棚橋弘至選手は、「愛してま~す!!」の他にも、たくさんの名言を残しています。
100年に1人の逸材、棚橋弘至です!
棚橋弘至選手を語る上で、欠かせないセリフです。
プロレスラーには、燃える闘魂、世界の巨人、天才、黒のカリスマなど、いろいろな異名がありますが、棚橋弘至選手と言えばこれです。
ちょっとしたネタばらしですが、逸材という言葉を使ったのは、体が大きいわけでもなく、運動神経が特別よくもない棚橋弘至選手が、自分を表現するとき何にでも当てはめられる言葉が「逸材」だったそうです。
まぁ、俺のカッコ良さは反則だけど
反則攻撃を多用する相手と戦った後に、発した名言がこれです。怒りを露わにし「俺は反則をしないけど…」の後に繋げました。
日常生活でも、使え……ますよね。
生まれてから、一度も疲れたことがない
後輩のオカダ・カズチカ選手に、トップ戦線から退けという意味を込めて言われた「お疲れ様でした!」への返しがこれです。
その後も、さまざまな場所で使い、今では「生まれてから一度も疲れたことがない男」として知られるようになりました。
ちなみに、スイーツ好きで有名な真壁刀義選手は、「生まれてから一度も疲れが取れたことがない男」だそうです。
棚橋弘至まとめ
このように、従来のプロレスラーと対極のパフォーマンスを見せる棚橋弘至選手ですが、実は昔ながらのプロレスも大好きです。
若手のときには師事したのは、ドラゴンというニックネームで知られる昭和大プロレスラー藤波辰爾選手です。
今でも、ドラゴンスクリューを初め、藤波辰爾選手の技を使い続けていることから分かります。
また、棚橋弘至選手の「至」という漢字は、何を隠そう、アントニオ猪木さんの本名、猪木寛至から頂きました。
生まれたときから、棚橋弘至選手はプロレスラーになるべく運命だったのかもしれません。
最近では、コンディションも悪く、トップ戦線に立てない棚橋選手ですが、先日行われた試合後には、次のような言葉をファンに投げかけてくれました。
棚橋「みんなの前で、ハッキリと! 宣言しておきたい。もう1度! 新日本プロレスの! 頂点に立ちたい!!いや! 絶・対・にー! 立ーーーつ!!あ~、みんなの前で言ったからには、やるしかないね。じゃあ最後にー! 後楽園ホールの皆さーーん! 愛してまーーーす!!」
棚橋弘至選手の復活、待っています。
他にも、棚橋弘至選手について書いています。下記リンク先から、御覧ください。