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災害直後に被災地近くでイベントを開催することについて思うこと

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その日、僕は母校の小学校の教室にいた。母校を卒業して約10年、通常であれば母校の教室にいるはずがない年齢だ。だけど僕はそこにいた。ただ、宙を見つめ、母校の教室に佇んでいた。

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大震災直後の予定

1995年1月17日、阪神・淡路を震度7の地震が襲った。ガス、水道、電気といったライフラインは止まり、道路も破壊された。僕が母校の教室で佇んでいたのは地震発生から2日後の1月19日(木)。近くの学校に避難した僕は、そこでささやかながらの時間を教室で佇んでいた。

「今日、なにか予定があったはず」

ふと、僕の頭の中を何かが横切った。その日はなにか大切なことがあったはず。それも、かなり前から楽しみにしていた何かがあった気がする。必死に思い出そうとするが、教室の外から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら昼ご飯の用意が整ったらしい。僕は、これらの昼ご飯を各教室に配らなければいけなかった。なぜか?各教室には怪我をして動けない人がたくさんいるからだ。食事を配り終えた僕は、先ほど配った昼ご飯を一つ手に取り食べ始めた。予定のことは、頭から消えていた。

プロレス、見に行くんだった!

何の予定かを思い出したのは次の日だったと思う。全壊を免れた自宅に一時帰宅し、自室の本棚に並べた週刊プロレスを見たときだ。

「あっ、昨日は大阪まで全日本プロレスを見にいくはずだったんだ!」

モヤモヤが消えた瞬間だ。僕は机の中のチケット確認した。もちろん半券とかではなく、完全に未使用のチケットだ。とはいえ、それを確認したところで仕方がない。僕のいる場所から会場までは電車で一時間かかる。それに電車は動いていないし車だって動けない。そもそも全日本プロレス大阪大会が開催されたのは昨日のことだ。今さらジタバタしたところでどうしようもない。いや、その時点では開催されたのかすら分からなかった。当時はネットが普及しておらず、情報を得る手段がなかったからだ。何とか配達されていた新聞や、乾電池を動力とするラジオは、プロレスのことを語ろうとはしなかった。

プロレス、開催されていた!

僕が全日本プロレス大阪大会が開催されたと知ったのは、数日後のことだ。たしか母校の教室に届けられた新聞で知った。このころになると、母校は避難所として機能していて、新聞などの情報が一括して届けられるようになっていた。各教室ごとに一部ずつ、いろんな新聞が届けられるようになっていた。日付はバラバラで、今日の新聞、昨日の新聞、その前の新聞などが束ねて届けられていた。

たぶんニッカンかデイリーだと思う。全日本プロレス大阪大会を伝える記事が僕の目に飛び込んできた。この日に行われたのは、川田利明vs小橋健太(建太)の三冠王座戦。記事によると、60分フルタイムで戦った上での引き分けのようだった。記事には「被災地に届け!」などと書かれていたように思う。この時期の全日本プロレスは試合時間が長く30分越えは当たり前のように行われていた。それでも60分フルタイムは聞いたことがない、それもシングルの三冠王座戦でだ。

この結果に僕は大興奮。災害から来るであろう心労をすべて吹き飛ばしてくれた。被災してようと時間は過ぎていくし、被災地から離れた場所は平常通りの時間が過ぎていく。なんだか取り残されていたような母校の教室で、60分引き分けという結果は僕をとんでもなく明るい気持ちにしてくれた。冗談や誇張なんかではなく、本当に体の底が熱くなってきたのを覚えている。

申し訳ない気になった

後に結果を見ると、5600人満員を記録したらしい。僕が買っていたチケットは、たしか1階席の後ろの方だった。友達と行くつもりだったので2枚買った。2枚合わせて1万円くらいだったと思う。でも、結果的には行けなかった。満員の会場に、2人分だけ空席を作ったのかなと申し訳ない気になった。

僕は試合には行けなかったけど、このチケットは大切に保存していようと決意した。

でも、その決意はすぐに覆されることとなる。なぜなら、全日本プロレスが未使用のチケットと引き換えに、チケット代の払い戻し、もしくは次回大阪大会のチケットを発送することを発表したからだ。言うまでもなく全日本プロレスにメリットはない。ただ、被災した人への温情で決めたことだと思う。僕は迷うことなく次回の大阪大会のチケットとの引き換えを希望した。手持ちのチケットを全日本プロレスの事務所に送り、次回のチケットを発送してもらうという手順だった。

次の大阪大会が行われたのは、いつだっただろうか。申し訳ないが次の大阪大会の記憶はまるでない。チケットは引き換えているので行ったはず。ただ、いつごろ開催されたのかまるで覚えていない。僕の家に電気が通ったのが震災から2週間後で、電気が通ったのは1ヶ月後、ガスは春の声を聞いてからだ。そのころに見に行ったのだろうか。

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被災者の気持ちを考えろ!

後で聞いた話だが、全日本プロレスの当時の社長・ジャイアント馬場さんは、大阪大会を開催するか、直前まで悩んだらしい。関西に住んでいると大阪府立体育会館のある難波と被災地はけっこうに離れているので気にならないが、やはり土地勘のない人から見ると、同じような場所で、震災の2日後にプロレスを行うのは不謹慎に見えるらしい。前述の通り、交通網は破壊されて、チケットを持っているのに会場までは行けない人もいるはずだと。あっ、これは僕のことですね。そういった人たちの気持ちを考えろと。

実際に行けなかった僕からすると、まったく余計なお世話なんだけど、まぁ言いたいことも分かるっちゃあ分かる。でも、プロレスを見に行けはしなかったけど、開催したことは僕に多大な勇気を与えてくれたのは事実だ。もし中止にしていたところで落ち込みはしなかったと思うけど、あぁ中止になっちゃんだと落胆くらいはしてたはず。つまり、まぁ「自粛」ってやつだ。

なにか災害が起こるたび、この「自粛」って言葉はすぐに現れる。被災者が大変なときに、こっちだけ楽しむのはいかがなものか、こっちだけ遊ぶのはいかがないものかってやつだ。これもまぁ分かるっちゃあ分かる。どこか申し訳ないって気持ちになるからだ。

まぁ、阪神淡路大震災のときの僕の被害なんてたかが知れている。僕の家は半壊で親族の家は全壊だけど、だれも亡くなっていないし怪我もしてないからだ。いや、怪我はしたかな、右腕火傷して、スチールロッカーの鉄の部分で冷やしていたような気がする。そんな被災したのかしていないのか、よく分からない僕でも、全日本プロレスが大阪大会を開催したことで勇気づけられた。60分フルタイム引き分けという結果に熱くなった。かなり後で見たんだけど、めちゃくちゃ良い試合だった。

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できるなら開催してほしい

とりとめもなく綴った体験談だけど、何を言いたいのかというと、なにか災害が起きた直後でも、やっぱりできることはやってほしいなってこと。自粛したい気持ちも分かるけど、開催することでやっぱり勇気を届けられることってあると思う。この先、世界にはいろんな災害が起こるかもしれんけど、そのたび気持ちを落ち込ませていたら前になんて進めない。このブログはプロレスが題材なのでプロレスで言うけど、試合をする予定の場所でなにか災害があっても、できる限りは開催してほしいと思う。もちろん物理的に無理な場合は仕方ないけどね。

開催することで、勇気をもらえることってあると思う。

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