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今から10年前、棚橋弘至とケニー・オメガはどこで戦っていた?【あのころ君は若かった】

今から10年前、棚橋弘至とケニー・オメガはどこで戦っていた?【あのころ君は若かった】

引用:新日本プロレス、Wikipedia

2019.1.4、新日本プロレスのイッテンヨン東京ドーム大会を締めくくった棚橋弘至選手とケニー・オメガ選手。38,162人の観客を大熱狂に包みこんだ。

WRESTLE KINGDOM 13 in 東京ドーム – 東京・東京ドーム
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ではこの二人、今からちょうど10年前は、どこで何をしていたのでしょうか?

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あのころ君は若かった

見てみましょう。

棚橋弘至の10年前

棚橋選手は苦しんでいた。すでにIWGPヘビー級王座のベルトは巻いていたが、存在感で上の選手を超えられない。新日本プロレスの観客数も低下するばかり。自称エースとして、どのような戦いを見せれば良いのだろうか?

そんな折、IWGPヘビー級王座である武藤敬司選手へ挑戦を表明。武藤選手はライバル団体「全日本プロレス」の社長。であるにもかかわらず、IWGPヘビー級王座についていた。

2008年、武藤選手は4月の大阪大会でで中邑真輔選手からベルトを奪い、中西学選手、後藤洋央紀選手、真壁刀義選手、中邑選手を相手に防衛。いわゆる外様選手でありながら、新日本プロレスで武藤無双を行っていた。

「武藤からベルトを取り戻すのは棚橋しかいない」

菅林社長(当時)から、このように指名されては受けないわけにいかない。「返事は1週間待ってほしい」と伝えながらも、わずか3日でIWGP奪還を表明。かくして棚橋選手は、武藤敬司選手から、IWGPヘビー級王座を取り戻すため、2009年東京ドームのメインに立った。

結果は棚橋弘至選手の奪還成功。

フィールズPresents レッスルキングダムIII in 東京ドーム – 東京・東京ドーム – 第10試合 60分1本勝負
棚橋が、IWGPヘビー級王者・武藤に挑戦したメインイベントの序盤戦は、じっくりとしたグラウンドでの攻防が続 く。そんな中、棚橋がドラゴンスクリューを皮切りに、ストン...

棚橋時代への礎を築く。

ケニー・オメガの10年前

ケニー選手は、2002年にプロレスデビュー。アメリカ最大のWWEを経て、2008年にDDTへ来日。恵まれた才能と努力で、日本のリングでも頭角を現していた。そんなケニーとの戦いを熱望する男がいた。ドラゴンソルジャーLAW(DSL)選手だ。

ドラゴンソルジャーLAW選手は、AXKICK興行におけるザ・ボスコニアン戦でデビューしたどインディーレスラー。埼玉プロレスで火に焼かれたり、観客0人試合を実現させたことがある。かねてより憧れていたケニー・オメガ選手に対戦を表明し実現。2009年1月12日、試合は高島平九丁目集会所で行われた。

引用:高島平九丁目集会所施設案内

高島平九丁目集会所はその名前のとおり、板橋区高島平にある集会所。ワンコイン(500円)で借りられる区の施設である、しかも和室。こんな区の施設で何をやるのかというと、もちろんプロレスの試合。

集会所前の庭先で試合が始まり、畳敷きの屋内を土足で踏み荒らしながら、舞台は近くのコンビニへ。缶ビールとフランスパンを凶器にDSLを攻め上げる。ついには住宅街ど真ん中の空地へ移動しピンフォール。激闘に終止符を打った。

高島平九丁目 ケニー・オメガ
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このとき集まった観客は約70人。2019年東京ドーム大会38,162人の500分の1以下である。

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2009年→2019年

2009年、棚橋弘至はこのように叫ぶ。

「内藤や、岡田や、吉橋や、平澤も、絶対、俺の位置まで引っ張り上げてやる。そしたら、プロレスは不滅ですよ」

試合後の言葉通り、内藤、岡田(オカダ)が東京ドームのメインクラスに成長。ただし、その2人が棚橋選手の存在を脅かすようになったのは嬉しい誤算だろう。

一方、ケニー・オメガはこう叫ぶ。

「これからもどんどん行くよ。これが最後じゃない、これからもケニーオメガはどインディーで戦っていくよ!」

試合後の言葉の通り、ケニーはどインディーで闘ったきた。闘っていたらその先にSmash、全日本プロレス、新日本プロレスがあった。いつのまにか、世界で一番有名なプロレスラーの一人になった。

2019年、2人が戦った東京ドームと高島平九丁目集会所は、電車でわずか25分。しかも都営三田線で乗り換えなしの便利さ。にもかかわらず圧倒的に遠かった2人の距離は確実に縮まった。

1年後、10年後、2人はどこで戦っているかはわからない。でも、どこででも何度でもみたい試合、それが棚橋選手とケニー選手の戦いだ。

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