プロレスを見に行くと、客席から「こんなのプロレスじゃない!」なんて声を耳にすることがあります。
はて?どう見てもリング上で行われているのはプロレスのようですが……。
どうやら、声の主と私では、同じものを見ているはずなのに、認識に違いがあるようです。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか?
今回は、なぜ見る人によって、プロレスの認識が違うのか、理由を考えてみます。
プロレスを図で表現する
最初に、何がプロレス、何がプロレスでないかを分かりやすくするため、図で表現してみます。
ご覧のように、枠の中にあるものがプロレスで、枠の外に出たものがプロレスとします。
例えば、プロレスラーがリングで戦うものは枠の中。けれど、サッカーボールを蹴って点数を競い合うようなものは枠の外になります。つまり、プロレス以外の何かです。
しかし、前述のように同じものを見ていたとしても、受け取る人によって、それがプロレスか否かは認識が異なることがあります。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか?
それを考える前に、プロレスについてもう少し考えてみましょう。
1950年ごろのプロレス
1900年頃、プロレスが初めて日本で行われたころ、多くの人々にとってプロレスは一つの認識として共有されていました。
もう一度、図を見てみましょう。
ほとんどの人にとって、プロレスは枠の中。
多くの人は、このイメージを共有していたのです。
2000年ごろのプロレス
しかし、プロレスは、とてつもなく自由度が高いジャンルです。
3カウントフォールか20カウントリングアウトのような最低限のルールを守ってさえいれば、少しくらい逸脱しても、それらは全てプロレスとして認められるという一面を持っています。
その自由度の高さが、少しずつプロレスの認識を広げていきます。
例えば、レフェリーが見ていなかったら、3カウントが入っても、リングに戻らなくてもオッケーです。
これをもう一度、 図に表してみます。
このようになります。
少し、プロレスの枠が広がりました。
2010年ごろのプロレス
さらに時代は進み、デスマッチなるプロレスも生まれました。
釘、ブルロープに有刺鉄線を使った試合も、プロレスとして認められるようになります。
さらには、男女が戦うミックスマッチなども認められるようになります。
これをもう一度、図に表してみましょう。
このようになります。さらに枠が広がりました。
2015年ごろのプロレス
それ以降、プロレスはさらに自由度を広げます。
レフェリーが特に危険と見なさなければ凶器持ち込みOKだったり、リングの外でフォールをとるエニウェアルールもOKだったり、そもそもリング自体がないプロレスなんてものも現れるようになりました。
そうすると、プロレスという認識も、際限なく広がっていくようになります。
これを図に表すと、次のようになります。
このようになります。もっと広がりました。
昔と今のプロレスを比較する
このころになると、もう、1950年のころに定義されていたプロレスという枠から、大きく逸脱したものさえもプロレスとして定義されるようになります。
比較する為に、1950年と現代のプロレスの定義を並べてみましょう。
このようになります。
昔と今では、プロレスの持つ認識が大きく変わっていることが分かります。
ここに、凶器持ち込みOKという試合を「点(・)」として、図の中に打ってみましょう。
このように、同じ場所に「点」を打ったとしても、昔と今では、それがプロレスかプロレスでないかは変わってくるのです。
見る人によってプロレスは同じではない
ややこしいのが、このプロレスという枠の広さは、プロレスを見る人全員が同じではないということです。
プロレスを長く見続けている人の場合は、
というように、広い枠を持っています。
それに対し、最近プロレスを見始めた、もしくはしばらくプロレスを見ていないなんて人の場合は、
というように、枠が狭くなります。
なので、例え、同じ場所に「点」を打ったとしても、
というように、見る人によってそれが、プロレスであるかプロレスでないかは変わってくるのです。
もし、毎日のようにプロレスをいろんなところで見続けているなんて人がいれば、枠は際限なく広くなったりしますし、逆に、プロレスを見たことないなんて人は、枠自体がなかったりするかもしれません。
見る人によって、プロレスの認識が違う理由
冒頭で述べたように、プロレスを見に行くと、客席から「こんなのプロレスじゃない!」なんて声を耳にすることがあります。
でも、それって実は当たり前のことで、プロレスは見る人によって認識が大きく変わる自由度の高いものだからです。
仮に1000人が見ていたとすると、1000種類のプロレスがあることになります。
いや、もしかすると、10000種類くらいあるかもしれません。
なので、同じものを見ていたとしても、その捉え方は千差万別。
私にとってはプロレスでも、隣の人からするとプロレスではないこともあります。
もちろん、その逆もあります。
これが、見る人によって、プロレスの認識に違いがある理由です。