日本にケンタッキーができる3年も前に権利を買おうとしたプロレスラーがいた

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日本にケンタッキーができる3年も前に権利を買おうとしたプロレスラーがいた
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ジューシーなフライドチキンと、カーネルおじさんと言えば…、

答えるまでもありませんね。

もちろん、ケンタッキーフライドチキンです。

日本に初めてケンタッキーフライドチキンがオープンしたのは1970年。

そこから50年近くの月日が流れ、今では店舗数1,100以上の一大チェーン店となりました。

ここを見ている人で、食べたことがないという人はいないですよね。

ところで、ケンタッキーフライドチキン1号店が日本にオープンする3年も前に、ある日本のプロレスラーが、ケンタッキーフライドチキンの権利を買おうとしたという話はご存知でしょうか?

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ケンタッキーの権利を買おうとしたプロレスラーは?

そのプロレスラーの名前は、何を隠そう大日本プロレスの会長を務める、グレート小鹿選手です。

アメリカに武者修行に言ったとき、現地で食べて感動し、英語ができないにもかかわらず、ケンタッキー本社に電話をかけ、日本プロレスから資金を借り入れて、権利を買おうとしたのです。

残念ながら、購入することはできなかったようですが、このとき、グレート小鹿選手がケンタッキーフライドチキンの権利を購入していたら、その後のレスラー人生はまったく違ったものになっていたことでしょう。

現役最古参プロレスラーとして、74歳の今でも年間20試合を目標にプロレスのリングに立ち続けるグレート小鹿選手ですが、権利を購入していたら、これほどまでに長い現役生活を送っていなかったように思います。

ケンタッキーフライドチキンの権利を元に、莫大な資金を手に入れ、悠々自適な生活を送っていないのではないでしょうか。

新日本も全日本も旗揚げしなかった可能性も

それだけではありません。

グレート小鹿選手に資金を提供したことで、日本プロレスも巨額の利益を手に入れ、崩壊を免れていたかもしれません。

そうなると、ジャイアント馬場さんが全日本プロレスを旗揚げすることもなく、アントニオ猪木さんが新日本プロレスを旗揚げすることもなかったでしょう。

今のプロレス界の分布図も、まったく違ったものになっていたはずです。

オカダ・カズチカ選手も、棚橋弘至選手も、プロレスラーになっていなかった可能性だってあります。

プロレス界に「もしも」はありませんが、世界が変わっていたことでしょう。

また、日本に1100以上ある店舗の軒先には、グレート小鹿選手の人形が設置されていたかもしれません。

極道コンビとして名を馳せた、グレート小鹿選手だけに、それはそれで、怖いかも。