敵意の繊細さ!鈴木軍の新日本プロレス侵略を詩的に表現する

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敵意の繊細さ!鈴木軍の新日本プロレス侵略を詩的に表現する
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まだネットで映像が簡単に見られるようになる前。

実際に会場で観戦するのは別として、僕らにとって「動くプロレス」とはテレビの中継だけでした。

その中継も、住む場所によっては一週間くらい前の試合が中継されたり、ひどいときだと一ヶ月くらい遅れて中継されたりすることも、珍しいことではありませんでした。

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プロレスを想像する

もちろん、全ての試合がテレビで中継されるかというと、そんなことは全くなくて、気になる大大会の試合でさえ、テレビ中継がされずに見られないなんてこともたくさんありました。

では、どうしても見たい試合はどうしていたのかというと、それはもう「想像する」しかありません。

翌日朝に発売される、スポーツ新聞や夕方の東京スポーツ。

そして、毎週発売される、週刊プロレスや週刊ゴングなどの活字媒体を一字一句読み漁り、それでも足りない分は、持てる知識を総動員して想像で補っていたのです。

プロレスを想像する必要はなくなった

だけど、今の世の中はインターネットが爆発的に進化し、日本中で行われるプロレスの試合ほぼ全てを、映像で見れるようになりました。

サムライTVにニコニコ動画のような総合チャンネルから、新日本プロレスワールドのような番組を駆使すると、だいたいの中継はカバーできますし、youtubeなんかを見ると、さらに小規模な大会の試合だって視聴可能です。

活字媒体だって、専門誌こそ減りましたが、ツイッターやブログで試合の詳細を書き込んでいる人も多く、それらの媒体をチェックすることで、試合の詳細をある程度は頭に思い浮かべることは可能です。

もう、僅かな情報を頼りにプロレスを想像で補うなんて必要はなくなったのです。

最高の贅沢は想像すること

でも、本当にそれで良いのかな?

新日本プロレスの内藤哲也選手が言っているように、プロレスファンにとって最高の贅沢は想像することです。

プロレスラーの、ちょっとした言動。

中継で見せる、ちょっとした表情。

活字媒体のmちょっとした謎掛け。

これらを、まるで砂漠に落ちてる砂鉄を拾い集めるように収集し、あーでもないこーでもないと考えることこそプロレスの持つ最大の楽しみなのです。

プロレスを詩的に表現する

だから今日は、プロレスの持つ魅力を、ある有名な詩になぞらえて書くとどうなるのか?

とうことをやってみます。

新日本プロレスの一団と、これは侵略に来ているらしい鈴木軍の一団とが擦れ違った。後楽園ホールは大方の選手も引揚げ、暗い客席から次の試合への興味が急に高く耳についてくる頃であった。擦れ違った。とただそれだけの理由で、彼らは忽ち入り乱れて決闘を開始した。驚くべきこの敵意の繊細さ。試合後の淡い照明の中で選手が円を描き、ゴミがとび、罵声が降った。三つの影が倒れたが、また起き上がった。そして星屑のような何かひどく贅沢なものを一面に撒きちらし、一群の狼藉者どもは乱れた体型のまま控室の方へ駆けぬけて行った。すべては三分とかからなかった。青春無頼の演じた無意味にして無益なる闘争の眩しさ。やがて後楽園ホールはまたもとの静けさにかえった。私は次第に深まりゆく悲哀の念に打たれながら、その夜ほど遠い青春への嫉妬を烈しく感じたことはなかった。

私の好きな小説家、井上靖さんの「海辺」からの引用です。

なかなか良いではありませんか。

特に「敵意の繊細さ」という箇所に惹かれます。

プロレスの持つ敵意とは得てして繊細なもの。

映像で見るよりも、状況が伝わってきます。

映像が溢れる今の時代ではありますが、あえて遮断して想像してみてはいかがでしょう。

プロレスファンにとって、最高の贅沢は想像です。