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週刊プロレスはオワコン?インターネット全盛期に雑誌が持つ役割とは

   

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週刊プロレス東京ドーム号

現在定期的に発行されているプロレス専門誌といえば「週刊プロレス」「kaminoge」「ゴング」の三誌です。

この中でも、その歴史を考えると中心は「週刊プロレス」。1990年代の雑誌黄金期と比べて発行部数は減らしているとはいえ、いまだ週刊プロレスに取って代わるメディアが現われていないのは事実ですし、週刊でできるかぎりの試合をリポートする姿勢は変わっておらず、見るべきものがあります。

プロレスを、創世記から支えてきた貫禄といったところでしょう。

週刊プロレスのメディアとしての役割

SNSなどを見ていると、10~20代の若年層による、雑誌などオワコンだと言わんばかりにを「読んでないアピール」を目にします。

それだけならまだしも、30代以上の確実に雑誌によって人格を形成されてきた世代からも、「最近週刊プロレスを読んでいない」「昔は週プロ読んでたなー」などと、週刊プロレスを読んでいないことで「感度の高い自分」をさりげなくアピールしたがるアピールまで目にする機会も増えてきました。

これらを見るにつれ、現代における雑誌のありかたを考えなければならないような気になります。

しかし、定期的に話題となる「週刊プロレスの掲載基準問題」を見ていると、週刊プロレスに試合レポートが掲載されるということの影響は今でも大きいということが分かりますし、表紙に起用されるメリットも大きいことも分かります。

毎年のように批判される「週刊プロレスグランプリ」だって、発表されたらされたで話題になるように、まだまだ一定の役割は失っていないのでしょう。

とはいえ、プロレスの速報が、専門誌のQ2サービス(エロいやつじゃないよ)か次の日の東京スポーツでしか知ることができなかった90年代と、ネットでほぼリアルタイムに受信できる現在では、週刊誌による試合レポートのあり方も変わってきているのは明らか。

雑誌の情報全てがインターネットでも入手できる今の時代では、既にメディアとしての役割が終わりつつあるのは間違いありません。

週刊プロレスはドラマ性を演出するツール

それでは今の時代、週刊プロレスには何が求められているのでしょうか?

1990年代までのプロレスラーといえば恐るべき存在であり畏怖すべき対象。特に悪役レスラーなんてファンが気軽に近づくことさえ許されなかったし、ファンサービスなんて夢のまた夢。

中にはニューヨークのスラム街でネズミを食べて育ったとか人を殺したことがあるだとか、物騒なエピソードを持つレスラーも多く、当時のプロレス少年は身震いしながらプロレス専門誌を読んで来日の日を待ちわびていたものでした。

しかし、ファンとの親近性が求められるようになった今の時代では、プロレスラーの幻想にも変化が訪れています。

プロレスラーはファンサービスを求められるようになったし、インターネットの開示性もあって物騒なエピソードを持つ悪役レスラーの数は激減。

彼らが持っていたミステリアスな雰囲気はなくなり、代わりにプロレスラーの内情に迫るドラマ性が重要視されるようになったのです。

このあたりから、プロレスラーのエピソードは「フィクション」から「ノンフィクション」に移行し始めました。

それとともに、プロレスラーのドラマ性を演出するツールとしての役割を週刊プロレスは果たすようになってきたのです。

分かりやすい例で言うと、1994年に開催されたベスト・オブ・スーパー・ジュニアの第一回大会決勝で、獣神サンダー・ライガー選手相手に好勝負を繰り広げたスペル・デルフィン選手です。

決勝の試合を高く評価され、初めて週刊プロレスの表紙を飾ったスペル・デルフィン選手は、その後のインタビューで表紙になった週刊プロレスの表紙をマスクの装飾として登場。

再び表紙の座を得ることに成功しました。

もちろん、当時のスペル・デルフィン選手にとって週刊プロレスの表紙は目標の一つだったと思いますが、それを目標のまま終わらせず、表紙に起用されたということをスペル・デルフィンというドラマの一要素に落とし込んだ例です。

その後、スペル・デルフィン選手は常設会場をもった大阪プロレスを旗揚げしたり、沖縄ベンチャービジネスサポート事業に採択された沖縄プロレスを旗揚げしたり、大阪府和泉市の市議会選挙に当選したりと、プロレスの枠組みを大きく広げる活躍を見せました。

週刊プロレスの持つ役割

1990年代はプロレスとファンを繋ぐべく大きな影響力をもっていた週刊プロレスですが、インターネットが発達した現在ではもはや雑誌単体として影響力をキープすることはできなくなっています。

それにもかかわらず、プロレスファンやプロレスラーからは今でも「週刊プロレスに掲載される」「週刊プロレスの表紙に載る」といった幻想だけは持たれ続けているので、週刊プロレスはプロレスラーが持つドラマ性を演出するためのツールとしての役割を担うように変化してきているのです。

それなら、プロレスラーが週刊プロレスに掲載されるのを目標とするのではなく、週刊プロレスがプロレスラーのドラマを盛り上げるための、ツールになることで影響力は保ち続けることができるのではないでしょうか。

「週刊プロレスに○○選手が登場した」から「○○選手が登場した週刊プロレス」。

多くのプロレスラーたちの目標として存在していた週刊プロレスが、プロレスラーの目標を果たすために一つのツールとして、かろうじて存在感を保つようにと変化しました。

情報伝達手段がマスメディアからが個人を中心とするインタネットに変わり、大衆娯楽よりも個々のドラマ性を重要視する流れは加速していくのは間違いありません。

その中で週刊プロレスが今までのように影響力を持ち続けるためには、さらなる柔軟性が必要となるでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございます!

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