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馬場と猪木が同日デビュー!ミステリアスはプロレスの重要なスパイス

      2015/10/04

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馬場と猪木が同日デビュー戦

ジャイアント馬場とアントニオ猪木

私にとってのジャイアント馬場とアントニオ猪木

9月30日は、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんのデビュー記念日です。

今週の週刊プロレスでは、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんのデビュー戦の模様を掲載した、月刊「プロレス&ボクシング」1960年11月号の誌面が紹介されました。

私にとって、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんは、現役時代の最晩年をほんの少しだけ体感した、日本プロレス史上の歴史上のレスラー。

私がプロレス観戦を始めた頃には、既にジャイアント馬場さんはメイン戦線を退き、休憩前の試合でファミリー軍vs悪役商会の闘いにシフトチェンジしていましたし、アントニオ猪木さんは政界に進出しており、リング上でもファイナルカウントダウンを進めておりました。

ジャイアント馬場さんもアントニオ猪木さんも、今も残された映像や雑誌・書籍での史実でしか知りえない存在なのです。

史実によるジャイアント馬場とアントニオ猪木

史実(※)によると、元巨人軍の野球選手であり、2メートルを越す長身のジャイアント馬場さんは、スター待遇で日本プロレスに入団し、師匠である力道山さんの寵愛の受けて大切に育てられたと言う説が一般的。

一方、アントニオ猪木さんは、家族と共にブラジルに移住していたところを、たたまた訪れていた力道山さんに拾われる形で日本プロレスに入団し、過酷な下積みを経てデビューにたどりついたというのが一般的。

※主に、プロレスラースーパースター列伝による史実です。

55年前に行われた、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんのデビュー戦をとっても、将来を渇望されたジャイアント馬場さんは、先輩とは言え、道場で一番弱かったと言われる田中米太郎さん相手に楽々の白星発進。

対照的に、アントニオ猪木さんは道場でもガチンコレスラーとしてならしていた大木金太郎さんを相手にプロの洗礼をたっぷりと受けた上での敗戦というのがこれまた一般的。

デビュー後も、わずか1年でアメリカ武者修行の切符を手にしたジャイアント馬場さんとは対照的に、日本国内で力道山さんの付き人として、数多くの差別待遇を味わったアントニオ猪木さんというように、語られるのが一般的です。

しかし、当時発売された、月刊「プロレス&ボクシング」1960年11月号を詳しく読んでみると、どうも史実と違うように感じる部分がいくつか見られますので、紹介してみます。

このブログでは、雑誌・書籍からの引用は、極力最小限に止めるよう注意をしています。

しかし、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんのデビュー戦の模様を伝えるメディアは貴重な資料です。

そのため、いつもより多めに引用していることを予めご了承ください。

デビューした馬場と猪木

まず、ページのタイトルとリード文からです。

デビューした馬場と猪木

巨漢の新人レスラーとして期待されていた馬場正平と猪木寛至の二人が、九月三十日夜台東体育館のリングで花々しくデビューした。二人の初マットにスポットをあてれば…

馬場さんと猪木さんの格

まず、最初に気づくのが、どこをとっても、名前の順番は馬場さんが先で、猪木さんが後ということ。

これは、単に馬場さんが猪木さんよりも年齢が5歳上だということを考慮してのことでしょうか。

それとも、やはり馬場さんが猪木さんよりも期待されていたということなのでしょうか。

試合順は馬場さんのほうが後というところを見ると、デビュー時点では馬場さんのほうがやや格上だったのかもしれません。

巨漢の新人レスラーとして期待されていたのは

そして、「巨漢の新人レスラーとして期待されていた」の部分。

馬場さんだけについた形容詞のように見えますが、おそらく猪木さんにもかかっているのでしょう。

馬場さんの印象が強すぎて見過ごされがちですが、猪木さんだって191センチの堂々たる体格。

この身長は、新日本プロレスのオカダ・カズチカ選手とほぼ同じです。

馬場さんと猪木さんがデビュー戦を行った大会に出場した他の選手の身長は下記の通り。

  • 吉原功さん=172センチ
  • 林幸一さん=176センチ
  • 平井光明さん=179センチ
  • ミスター珍さん=168センチ
  • 田中政克さん=176センチ
  • 大坪清隆さん=170センチ
  • 竹下民夫さん=175センチ
  • 大木金太郎さん=185センチ
  • 田中米太郎さん=176センチ
  • 芳の里さん=174センチ
  • 長沢日一さん=176センチ
  • 豊登さん=174センチ
  • 吉村道明さん=183センチ
  • 力道山さん=176センチ

1960年の日本人の平均身長が162センチであった時代ですので、出場していた選手全員が平均を多きく、上回ってはいるものの、改めて調べてみると、プロレスラーとしてはやや小さい印象を受けます。

この中に入ると、209センチのジャイアント馬場さんと、191センチのアントニオ猪木さんがいかに大きく、そして期待されていたかが分かります。

馬場正平デビュー戦

次に、ジャイアント馬場さんのデビュー戦を見てみます。

観客のドギモを抜くほどの長身

プロ・レスラーといえば巨漢ぞろいで、今までにも見なれているはずのファンだが、さすがに馬場の”大きさ”にはちょっとドギモを抜かれたという感じだった。

「プロ・レスラー」と、プロとレスラーの間に「・(ナカグロ)」を入れるあたりは、まだ、「プロレスラー」という固有名詞が確立していなかったのでしょう。

そして、当時の平均身長(162センチ)を大きく上回るプロレスラーたちの中に入っても、馬場さんの205センチ(資料による)の長身は、とんでもない大きさだったことが分かります。

デビュー戦ではさすがに一礼

この場内の歓声にも馬場はちっともあわてずリングの中央に進んで軽く一礼、初登場とは思えぬ度胸のよさである。

馬場さんの軽い一礼、見てみたいですね。

デビュー戦と全盛期で異なるスタイル

ゴングが鳴ると、馬場は巨体に似合わぬ素晴らしいスピードで右に大きくまわって田中(米太郎)に対した。

全盛期から晩年にかけての、対戦相手に自分の周辺を回らせる馬場さんのスタイルとは大きく異なります。

馬場さんの唱える王者としての風格は、キャリアを通して身に付けたものなのでしょう。

結局、馬場は最後までスピードに乗った軽快な動きで田中をよせつけず、五分十五秒、新人らしからぬ荒技股裂きでベテラン田中をギブ・アップさせて快勝した。

どうやらデビュー戦での馬場さんはスピードに乗った選手だったようです。

長い現役生活の中で、徐々に動き回るレスリングではなく、リングの中央で構えるスタイルに移行したのでしょう。

デビュー戦の相手、田中米太郎とは

また、対戦相手を務めた田中米太郎さん。ベテランと表記はありますが、この時点でのキャリアは7年。

とはいえ、バックボーンは力道山さんと同じく大相撲のプロレスラーです。

力道山さんと親交も強かったため、誘われる形で日本プロレスに参加していたようです。

後に、猪木さんの著書で「道場で一番弱かった」と回想されています。

真偽のほどはさだかではありませんが、馬場さんのデビュー戦の当て馬としてあてがわれたと言う話は、どうなのでしょうか。

野球選手として大成していたならば…

巨人軍からプロレス入りした当時の馬場は、体は大きかったが、何か一本シンが抜けた弱々しい感じがあった。

プロ野球選手という経歴をもってプロレスに入団したため、既に体は出来上がっていたという印象を持っていましたが、そうではなかったようです。

一番の弱点であった足や腰が強くなったのは馬場にとって幸いだった。

特に足腰が弱かったと言う記述があります。

野球の投手にとって、何もよりも大切なのは足腰だとはいいますが、馬場さんにとって、投手として大成しなかったのはここに原因があったのかもしれません。

逆にいうと、もし野球選手時代から足腰が強靭であったなら、投手として大成していた可能性が高いです。

日本のプロレス界の歴史が変わっていたかもしれません。

「馬場いいレスリングだったな。立派なものだ。一生懸命やれよ。」

師匠である力道山選手のおほめの言葉です。

猪木寛至デビュー戦

続いて、アントニオ猪木さんのデビュー戦の模様も紹介されています。

ファンをびっくりさせるほどの長身

リングにあがった猪木をみたファンはびっくりした。なにしろ十七才の少年で、身長が一メートル九八センチ(原文ママ)もあるというのだから無理もない。

原文に沿っての紹介なので、馬場さんの試合後に猪木さんの試合が行われたように見えますが、実際は猪木さんの試合のほうが先。

170センチ台のレスラーが大半を占める中で、198センチの猪木さんの登場には驚愕したことでしょう。

冒頭リード文「巨漢の新人レスラー」という部分、やはり猪木さんにも当てはまるようです。

デビュー戦の相手、大木金太郎とは

相手となったのが、これまた新人選手の巨漢、大木金太郎選手。六尺ゆたかでなかなかいい体をしている。

この時点での大木金太郎選手のキャリアは1年未満。まだまだ新人扱いだったことが分かります。

身長は、この日参戦した日本人選手の中で、馬場さんと猪木さんを除くと一番の高身長の185センチ。

「原爆頭突き」と呼ばれたヘッドバッドで暴れまわった選手です。

強心臓なのか、緊張したのか

この大木に対して猪木は最初から寝技に誘い込んだ。

デビュー戦の猪木さんが、わずか1年とはいえ、先輩の大木金太郎さん相手に寝技に誘い込む。猪木さんの強心臓が発揮された場面です。

全体的に思い切った攻撃を仕掛けず、何か気の弱さを感じたが、これなども場内の雰囲気にのまれてしまい、完全にアガっていたのだろう。

強心臓と思いきや、デビュー戦では気の弱さを見せていたようです。当時17歳、初々しい頃の猪木さんといったところでしょうか。

「初試合でアガってしまいました。」

やはり、アガっていたようです。

巨漢の新人レスラーとして、破格のデビュー戦

この日、台東体育館大会で行われたのは全11試合。

猪木さんのデビュー戦が第7試合目、馬場さんのデビュー戦が第8試合目です。

予選とはいえ、日本ライトヘビー級王座決定戦というトーナメントが行われていたにも関わらず、デビュー戦が大会の後半に組まれていたところを見ると、馬場さんと猪木さんにかける期待が伺えます。

待遇に違いがあったといわれる馬場さんと猪木さんですが、共にプロレス界の将来を背負う若者として、同じように期待されていたように思います。

それもそのはず、身長170センチ台のレスラーが中心の日本プロレス界において、190センチを越す猪木さんと、2メートルを越す馬場さんの体躯は何よりの宝だったのでしょう。

馬場さんだけでなく、猪木さんもエリート扱いだったようです。

馬場に厳しかったデビュー戦

このページの著者である流智美さんは、実力派の大木金太郎選手を相手にデビュー戦らしい試合を組まれた猪木さんよりも、誰でも勝てると言われた田中米太郎さん相手に、アトラクション的なデビュー戦を組まれた馬場さんのほうが辛いデビュー戦だったと振り返ります。

破格の待遇を受けるべきだった猪木

この項の冒頭で、馬場さんは野球選手の肩書きからスター待遇で日本プロレスに入団し、猪木さんはブラジルで拾われたと表記していますが、実際には、馬場さんは入門を志願し、猪木さんはスカウトされたと言う話もあるようです。

そうなると、破格の待遇を受けるべきは猪木さんのほう。

それがいつのまにか史実では、スター待遇で育てられた馬場さんに対し、冷遇され続けた猪木さんというように話が変わっているのです。

今となっては、どれが正しくて何が間違っているのかなんて調べようがありませんし、調べる必要もありません。

プロレスにとって、ミステリアスな部分は非常に重要

プロレスにとって、ミステリアスな部分は非常に重要。

足りない部分はファンがあれこれ想像し、補足すれば良いだけの話です。

事実がどうであったとしても、おもしろいこと優先。

近年は、なにかとあまりに情報化されすぎた社会ではありますが、ことプロレスにおいては、謎は謎のままとして、明らかにしないことも重要ではないかと思います。

正体不明のマスクマン、謎の必殺技、まだ見ぬ未知の強豪など、ミステリアスな部分。

いつまでも大切にしたい、プロレスの文化です。

最後までお読み頂きありがとうございます!

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