危うい存在だった過去のプロレスブーム
最近、思うのがプロレスブームについて。
特に最近は各メディアでプロレスが頻繁に取上げられ、流行っている感が加速しています。
もちろん、プロレスブームは今回が初めてのことではなく、力道山時代、馬場・猪木時代、俺たちの世代時代、三銃士&四天王時代と、そのときの時代ごとにプロレスブームは存在しました。
しかし、これまでのプロレスブームは、マスメディア中心のさじ加減しだいで、いつでも終わりを告げられる危うい中でのプロレスブームだったわけです。
つまり、わが国最大の求心力を持つ娯楽の王様”テレビ”という公共の電波に流れることによって、広く世間に知れ渡ることができたのでこれまでのプロレスブームということです。
力道山のころに起こったプロレスブームはまさにそう。
テレビに映るものこそが、その時代の娯楽の王様なのです。
ただし、マスメディアによるブームは非常に不安定な中でのブーム。
マスメディアが、次なるブームを見けると、そのブームはあっけなく終焉を迎えるのです。
簡単に言うと、テレビに出なくなったら終わり。
分かりやすい例が1990年代ごろのプロレスブーム。
この頃のプロレスブームは、テレビの放送枠が深夜隊に移行してあっという間に終焉を迎えました。
マスメディアは新たに、格闘技というブームの果実を見つけたからです。
マスメディアのさじ加減に影響されない2010年代のプロレスブーム
しかし、90年代のプロレスブームに唯一救いがあったのは、ちょうどインターネットの普及とも重なっている時期で、一部のファンはネットを介して、マスメディアのさじ加減に影響されることなく、プロレスを選択し続けることができたのです。
そして、TwitterやFACEBOOKなどのSNS全盛と共に爆発したのが、2010年代のプロレスブーム。
男性女性、年齢、住んでいる場所を問わず、今や誰もが自分の好きなものを選択して、世間に広く発信することができるようになりました。
各マスメディアのさじ加減によって、世間的には終わったとされていたプロレスも、そこから復活しました。
2010年代のプロレスブームはマスメディアによって作られたものではなく、暗黒時代も、世間の流行にブレることなくプロレスを支え、発信し続けた先人達の礎の元に成り立っているのです。
今度のプロレスブームは終わらないぞ!
だからって、古くから見てるプロレスファンを敬えとか、そういうことではありませんよ。
また、未だプロレスに対して偏見を持っている人を含めて世の中全員にプロレスファンになってほしいなどとは思っておりません。
そういうことではありません。
でも、好きなものが偏見無く認められる。
プロレスが、「そういう選択肢もありだね」程度に思ってもらえるような世の中に、少しでも近づいてほしい。
プロレスブームとはいえ、とても不安定なものだけど、だからこそ熱中できたり支えたりすることができる人は、いつの時代にも必ずいるんです。
テレビという娯楽の影響が薄まって、インターネットの影響が強くなってきた昨今。
たしかに、ブームを加速させているのはテレビかもしれないけれど、今のプロレスブームは簡単に終わらないような気がします。
ブームが始った終わったってのは、今までは必ずテレビなりのマスメディアが先導して決めていたけれど、もうそろそろ、自分達で決めてもいいのではないかと思います。
それがインターネットによる個人主義時代。
たとえプロレスブームが終焉し、またいつものようにプロレスが日陰モノのジャンルへと戻ったとしても、次なるプロレスブームのために、ひっそりとプロレスを題材にブログを書き続けたいと思います。