故・三沢光晴さん七回忌「6月13日を忘れない」高山善廣

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故・三沢光晴さん七回忌「6月13日を忘れない」高山善廣:週刊プロレス1780号

週刊プロレスで連載中の「6月13日を忘れない」。

2009年6月13日に、不慮の事故によりリング上で亡くなった三沢光晴さんを追悼したコラムです。

今回執筆したのは、当時第39代三冠ヘビー級王者としてNOAHのマットに参戦していた”プロレス界の帝王”高山善廣選手です。

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三冠ヘビーのベルトを小橋建太に見せ付ける

当時、オレは三冠王者だったんだよね。あの日、オレがベルトを持っていったの?

翌日の博多大会で小橋選手に見せつけるって言ってたの?

そんなこともう覚えていない。

当時、三冠王者であった高山選手は、王者の証である三冠ヘビー級のベルトを持ってノアのシリーズに参戦していました。

6月8日の八王子大会では、まだ戴冠経験のなかった秋山選手にベルトを誇示し、6月14日の博多大会では、第16代、第19代、第25代三冠王者であった小橋さんにベルトを見せ付けるつもりでした。

しかし、小橋さんへのアピールは未遂に終わったようです。

携帯性の優れているわけではない三本のベルトを持ち運びながら、小橋選手に見せ付けるどころか、ベルトを持っていったことさえをも記憶にありません。

事故の衝撃の大きさが伺えます。

非現実的なことをずっと考えていた

人間って切羽詰ったら神頼みするんだよ。

どうやったら、どこにお祈りに行ったら、三沢さんが生き返るのかなって本気で考えた。

言うまでもありませんが、死者が生き返ることは決してありません。

そんなことは、高山選手だって十分承知の上のこと。

それでも、現実を受け止めることを避け、非現実的なことを考えるのは、あまりに現実が非常だったから。

翌日に行なわれた博多大会に出場するために、決して整理がつかない気持ちを無理やり受け止めて試合に臨んだのです。

三沢光晴の帝王学

高山選手にとって三沢選手は全日本プロレスの所属になることを進め、ノアの旗揚げのときは声をかけてくれた恩人です。

また、プロレスに必要なものを、身を持って教えてくれた選手でもあります。

ノー・フィアーを結成し、勢いに乗っていた高山選手の前に、高い壁として立ちはだかったのは三沢選手です。

三沢さんと初めてシングルをやったときも、「食ってやる」っていう気持ちだけだった。

だけど、噛み付いたら、俺の歯のほうが折れる、みたいなね。

三沢選手と闘うことによって、高山選手はプロレスラーとして必要なことを全て叩き込まれたと語ります。

この経験が、後に高山選手がプロレス界の帝王と呼ばれるまでにレスラーとしてステイタスを上げることができた要因なのではないかと思います。

プロレスリング・ノアの高い壁

今も、ノアのリングにフリーとして定期参戦する高山選手は、ノアの選手達の高い壁として立ちはだかっています。

現在、ノアのリングでは鈴木軍の侵略を受けています。

言うまでもなく、高山選手と鈴木選手は盟友といってもいい間柄。

今のところ、高山選手は鈴木軍に対してのスタンスを明確にはしておりませんが、いずれそれが明らかになるときが来るでしょう。

高山選手は、鈴木軍からノアを守る高い壁となるのでしょうか?

それとも、鈴木軍と共にノアを侵略する高い壁となるのでしょうか?

高山選手がいずれの答えを出したとしても、根底にはノアを愛する気持ちを持ち続けているのは間違いないでしょう。

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